大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成5年(オ)2005号 判決 1998年4月24日

上告人

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

内藤隆

竹之内明

清井礼司

山崎惠

中下裕子

被上告人

右代表者法務大臣

下稲葉耕吉

右指定代理人

山中正登

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人内藤隆、同竹之内明、同清井礼司、同山崎惠、同中下裕子の上告理由第一について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、本件の各接見拒否が違法であるとはいえないとした原審の判断は、是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に立って原審の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

上告代理人内藤隆、同竹之内明、同清井礼司、同山崎惠、同中下裕子の上告理由第二並びに上告人の上告理由一及び二について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、本件の厳正独居拘禁及びその更新が違法なものとはいえないとした原審の判断は、是認することができ、その過程に所論の違法はない。厳正独居拘禁は、自由刑とは異なる身体罰ないし精神罰であって特別な不利益処分であるということはできず、この点に関する所論違憲の主張は、その前提を欠くものといわざるを得ない。論旨は、独自の見解に立って原審の前記判断における法令の解釈適用の誤りをいうか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

上告代理人内藤隆、同竹之内明、同清井礼司、同山崎惠、同中下裕子の上告理由第三及び上告人の上告理由三について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、上告人に対する軽屏禁及び文書図画閲覧禁止各一〇日の懲罰が違法なものとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。監獄法が懲罰の対象となる違反行為の内容を定めていないことが憲法三一条に違反しないことは、最高裁昭和六一年(行ツ)第一一号平成四年七月一日大法廷判決・民集四六巻五号四三七頁の趣旨に徴して明らかである(最高裁平成三年(オ)第八〇三号同五年九月一〇日第二小法廷判決・裁判集民事一六九号六八九頁参照)。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原審の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎず、採用することができない。

上告代理人内藤隆、同竹之内明、同清井礼司、同山崎惠、同中下裕子の上告理由第四について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、監獄内の規律及び秩序の維持に障害を生ずること並びに受刑者の教化を妨げることを理由とする新聞記事、機関紙の記事、上告人の受信した信書及び上告人の発信した信書の一部抹消が違法なものとはいえないとした原審の判断は、是認することができ、その過程に所論の違法はない。右のような理由でされた新聞記事及び機関紙の記事の一部抹消が憲法二一条に違反するものでないことは、最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁の趣旨に徴して明らかであり(最高裁平成三年(オ)第八〇四号同五年九月一〇日第二小法廷判決・裁判集民事一六九号七二一頁参照)、右のような理由でされた上告人の受信した信書及び上告人の発信した信書の一部抹消が憲法二一条に違反するものでないことも、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和四〇年(オ)第一四二五号同四五年九月一六日判決・民集二四巻一〇号一四一〇頁、前示昭和五八年六月二二日判決)の趣旨に徴して明らかである(最高裁平成五年(行ツ)第一七八号同六年一〇月二七日第一小法廷判決・裁判集民事一七三号二六三頁、前示最高裁平成三年(オ)第八〇四号同五年九月一〇日判決参照)。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官福田博 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一)

上告代理人内藤隆、同竹之内明、同清井礼司、同山崎惠、同中下裕子の上告理由

第一〜三<省略>

第四 新聞等の一部抹消及び信書の検閲について

一 原判決は、一審被告が行った新聞等の一部抹消及び信書の検閲に関する受刑者の権利自由の制限につき、同制限は受刑者の拘禁目的を達するために必要と認められる限度にとどめられるべきであり、右制限が許されるためには、受刑者の性向、行状、監獄内の管理、保安の状況、その他の具体的事情のもとにおいて、自由を剥奪するという拘禁目的に反したり、監獄内の規律秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生じたり、受刑者の教化を妨げる相当の蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、その場合においても、右制限の程度は、右障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるが、監獄長が行った右障害発生の相当の蓋然性の判断及びその防止のための措置の必要性の判断が合理的である限り、監獄長の措置は適法となる旨一般論を判示したうえ、本件新聞等の一部抹消及び信書の検閲に関する各処分につき、いずれも監獄長の判断に合理性が認められるとして、右各処分に関する一審原告の主張をいずれも棄却した。

しかし、右原判決の判断は次に述べるとおりいずれも間違っている。

二 原判決は、憲法の解釈基準を誤っており、破棄を免れない。

憲法二一条は、表現の自由の一形態としての「知る権利」及び交信の自由を、全ての国民に保障しているのであって、受刑者といえども例外ではない。そして、自由刑の純化という考え方からすれば、自由刑は、本来身柄の拘束にとどまるべきものであって、他人との人間関係の切断までを要求するものではないはずである。他人との間で意思の疎通をはかり、そこに一定の人間関係を作りあげることは、社会的存在としての人間が本来的に有している自由権である。

従って、身柄の拘禁すなわち場所的隔離の必要と抵触する限りにおいて、この自由が制限されるのはやむをえないとしても、原判決が述べるような受刑者の教化改善、刑務所内部の規律秩序の維持等を理由として制限を加えることは憲法に反し、許されるものではない。

特に新聞の記事の抹消については国連の被拘禁者処遇最低基準規則第三九条に「拘禁者は、新聞紙、定期刊行物もしくは施設の特別刊行物を閲読し、ラジオ放送を聴取し、講演をきき、または当局が許可し、もしくは監督するその他の類似の手段によって、比較的重要なニュースを定期的に、知らせられなければならない。」と規定するとおり、社会の動きについて常に情報を与えられていることは、受刑者が社会復帰をした場合に社会に順応するための必須条件である。刑務所という、閉ざされた、人間性を抑圧された世界にいる者こそ、社会の動きについて十分な情報が必要なのである。それを、矯正目的を訴外するからとか、所内秩序・保安等に危害を及ぼすとか、危険性の検証できない不確実を予測をもって制限することは許されないのである。

三 本件新聞等の一部抹消及び信書の検閲に関する各処分について(以下、原判決理由七項の記載に基づき、各処分を特定する)

1 本件(一)及び(六)の処分について

(1) 原判決は、右各処分につき、抹消されていない部分に本件抹消部分と概ね同旨の内容の記載があることを指摘したうえ、一審被告側証人の抹消理由は必ずしも合理的理由とは言えないと判示しながら、「抹消による不利益も結果的に見出せないのであり、抹消の方法に不十分さはあるものの、抹消処分に裁量権の範囲の逸脱又は濫用があったとはいえない」と判示して一審原告の請求を棄却した。

(2) しかし、右判示は、違法行為の成立と損害の発生とを混同したものであり、間違いである。右原判決の判示にもあるとおり、本件(一)及び(六)の抹消処分は、抹消されていない記事部分に抹消個所と同内容の記載があるのであり、到底、合理性のある判断に基づくものとは言えないのである。もし、新潟刑務所が真面目に抹消につき、判断したならば、このような抹消方法を取ることはありえない。かつ、抹消部分と同内容の記載がある抹消されていない部分の記事を閲覧したことにより、何らかの障害が発生したという事実もないのであり、これは、一審被告が主張するような障害発生の相当の蓋然性が全くなく、かつ、抹消する必要性も全くなかったことを示す第一の事実である。

次に、原判決は、抹消されていた部分の内容が閲覧できた部分に同旨の内容の記事があることを理由に、「抹消による不利益も結果的に見出せない」と判示したが、この判定も誤っている。

すなわち、原判決も認めるとおり、右新聞記事を一審原告が閲覧した当時、新潟刑務所では「わずか数日の間に、収容人員約七四〇名中の四名の受刑者が同じ原因で死亡するという」「極めて異常な事態」(原判決一六頁)が発生しており、刑務所側が受刑者に死亡の事実を知らせなかったために、同死亡事件が受刑者の間に噂として伝わり、同刑務所第三工場では、受刑者の死亡の原因が食事にあると思った一部受刑者が食事を拒否したり、第六工場では、三一名の受刑者が管理部長に面接を願い出るなどの事態が発生した(原判決二一頁)。そして、一審原告ら受刑者は、本件右新聞記事を閲覧して初めて右死亡の事実を確実に知ったのである。

従って、このような事情がある場合、右死亡に関する報道機関の記事に初めて接した一審原告ら受刑者が、当該記事の一部に抹消部分があるときに、右死亡に関し閲覧できた部分以外の内容がそこには記載されていると考え、より一層の不安にかられるのは当然であり、その精神的損害は極めて大きいものと言わざるを得ないのである。原判決は、損害についていわゆる差額説に立脚して、当該抹消個所を閲覧できても新たな事実を知ることが出来なかったことを理由に損害がない旨認定したものと思われるが、それは右のような損害を全く看過したものであり、到底是認することができないものである。

2 本件(三)の処分について

(1) 原判決は、右処分につき、抹消された部分の内容がいずれも虚偽の事実ではないと判示しながら、同内容が反権力闘争を鼓舞するものであり、一審原告の闘争心の高揚を抑制するために右抹消処分は必要があった旨判示している。

そして、右抹消処分された記事の要旨については、一審判決のまま、「新潟刑務所が面会を妨害し、調査を拒否した旨の見出し、原告の手紙によって、弁護人が刑務所に照会し、原告に面会を求めたが、不許可になった、原告からの手紙に、抹消、塗りつぶしがある、というものである」(一審判決七七丁表)と認定している。

(2) しかし、右抹消された記事の内容は、原告が正当にも判定しているとおり、新潟刑務所が一審原告に知らせていない同刑務所の違法処分に関する事実をそのまま伝えたものである。従って、仮に、同記事を一審原告が閲覧することによって、新潟刑務所に対して不信感を持ち、その結果、同刑務所が行う一審被告に対する教化の妨げになるとしても、その原因は同刑務所側の違法行為に起因するものであり、一審原告を法律に基づき拘禁する新潟刑務所としては、一審原告に対し、まず第一に違法行為の存在を認め、その状態を是正したうえで、一審原告の改善教化にあたるべきであり、本来、同刑務所が甘受すべき事態である。それを、新潟刑務所は、何ら自ら犯した違法行為を是正する措置を取らず、隠蔽した自らの違法行為を知られた場合の一審原告の動向を考え、本件抹消処分を行ったものであり、これを適法とした原判決の認定は到底正義を実現するものとは言えない。

3 本件(七)の処分について

(1) 原判決は、右処分につき、一審判決と同様に、一審被告側証人の証言にある抹消理由について「抹消する必要性が強いとは認められないものの、抹消による原告の不利益も大きくない」ことを根拠に、本件抹消処分に裁量権の範囲の逸脱または濫用はなかった旨判示した。

(2) しかし、右判示は、右1で述べたのは同様に、違法行為の成立と損害の発生とを混同したものであり、間違いである。しかも、一審原告が当時置かれていた、受刑者死亡事件による自らの生命に対する不安、弁護人との面接違法妨害事実の存在等の状態を考えれば、損害の有無については、抹消された部分を一審原告が閲覧できた場合との差異を考えるべきでなく、抹消されている個所を見た一審原告がそこに何が書かれているかを想像し、それによって受けた精神的被害により、損害の有無を認定すべきである。

そして、右観点からすれば、一審原告が右処分によって被った不利益は「大きくない」ことは決してない。しかも、原判決も認定するとおり、本件処分をした新潟刑務所の理由は、到底合理性、必要性があるとは言えないものであるから、原判決の判示は誤りである。

4 その余の処分を含む本件各処分について

原判決は、新潟刑務所が本件各処分を行った理由につき、一審判決と同様に、「原告が受刑者の死亡事件をきっかけに、刑務所に対し反抗的態度を示すようにな」(一審判決七九丁表)たことを挙げている。

しかし、新潟刑務所が受刑者の死亡事件につき、適切な措置を取っていれば、このような事態は生じなかったものであり、これを全く考慮せず、一方的に一審原告を責めること到底許されるものでなく、本件各処分の適法性を考える際にも、右死亡事件の発生及びそれに対する新潟刑務所側の不適切な措置を勘案して一審原告の態度を判断すべきであり、そうすれば、一審原告の言動が反権力闘争を志向したものでないことが容易に判明するのである。ところが、新潟刑務所は、自らの非を全く顧慮することなく、一審原告の態度を一方的に反抗的、反権力闘争志向と断定したうえで本件各処分を行ったものである。その誤った認定を無前提に基礎においた原判決の判定はいずれも誤っており破棄されるべきである。

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